東京デスモの「ロックの先人を一刀両断」

その3 グラム・パーソンズとは

グラム・パーソンズが高校を卒業する頃には、父親は自殺、母親はアル中で他界している。 そしてアメリカ一難関のハーヴァード大学に入学した半年後退学、高校時代から非凡なる才能を発揮していたカントリー/フォークの道へと進む。その2年後、当時既にスターであったザ・バーズに、クビになったデビット・クロスビー(後のCS&Nのちっさいおじさん)の穴を埋める形で加入する。 それまでのバーズは周知の通り、ディランに強く影響を受けたフォーク・ロックと,当時先鋭とされていたサイケデリックサウンド(シターなど)を融合した音楽性で成功を収めていたが、グラムの加入によりカントリーアルバムをつくってしまう。この名盤、「ロディオの恋人」を一枚録音しただけでグラムはバーズを去るが、彼がもたらしたカントリーの要素はバーズのその後のアルバムにも強く浸透している。つまり、まだ10代の若者が当時のトップ・グループにいきなり加入し、音楽性までをがらっと変えてしまったということだ。現代に喩えると、10代の無名の若者がオエイシスに加入し、おフレンチポップスのアルバムを造ってしまう位、衝撃的だった(はず)である。

その後グラムはバーズのベーシストのクリス・ヒルマンを引きぬき、フライング・ブリトー・ブラザースを結成する。 この時期に何故かローリング・ストーンズと急速に友好を深め、グラムの影響力はキースに(ストーンズの最高傑作との誉れ高い)「メイン・ストリートのならず物」をつくらせる程だった。その間、グラムはアルバム2枚でブリトー・ブラザースを脱退し、ソロとなり、当時は無名だったエミー・ルー・ハリスを発掘し、エミー・ルーと一緒に組んだバンド、「フォーレン・エンジェルス」と共にツアーに出る。エミー・ルーとのデュエットアルバム(ブリトー・ブラザース脱退後、ソロ名義では2枚目)の発売直前、ドラッグのオーヴァードースにより26歳の若さで死んでしまう。これ以上ロックな野郎はいるだろうか。

ちなみにデスモは2年前の夏の「ダメ出しされまくりのドコモライブ」で彼の"One Hundred Years From Now"(「ロディオの恋人」に収録されているが、歌っているのは書いた本人を差し置いたロジャー・マッギン)をカバーして、「もっと普通の人が知っている歌をやるように」と代理店に叱られた苦い思い出がある。