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我々はよく出演したライブハウスや客に「渋い」と言われる。私は自分達の事をかっちょいいと感じた事は多々あっても、具体的に「渋い」と思った事は一度もないのでいつも心外に思うが、それはひょっとしたらデスモの曲(の一部)はブルースを基調としているからではないかと気付いた。私は浅学ながら熱心なブルースのファンなので、至極身近なものと思う。しかしよく考えると、確かに我々のような駆け出しレベルから、メジャーのチャートのどこを見てもブルースに忠実なバンドはない(あっても少ない)。そういう意味では我々のブルース調の曲は現代のシーンの中では特異と受け止められ、曲の内容そのものよりもただ「ブルースやってるな」というイメージが先攻され、結果的に「ブルース=昔の音楽=シブい」という図式が自ずとできるのであろう。音楽とは聴く側がどう受け止めるかが全てなので、我々はそういうご意見を真摯に受け止め、東京デスモというバンドのイメージを(渋いなら渋いなりに)より印象深いものとして発展させなくてはならないと考える。言い換えれば、メロディーやアイディアに事欠いて苦肉の策でこさえたブルース曲が、図らずとも我々が意図していなかったイメージに繋がっている事は嬉しいことである。 デスモの曲作りは大概メロディーの断片かアイディア(ギターのリフや全体的な曲調)から始まる。あるいは「こんな曲名があったらかっちょいいだろうな」という漠然とした考えから発展する時もある。(デッドヒート、ラブホテルなどがそうだ)しかし何も閃かない場合はブルースを常に選択肢として考えている。何故なら形が決まっていて、楽だからだ。コードの進行も決まっているし、それに乗せられるメロディーも決まっているようなものである。構成も、歌−歌−ギターソロ−歌以外にあまりいじりようがない。しかしだからこそ、そこに自分ならではの表現を加えるのは難しい。ブルースという音楽形態はあまりにも完成されていて、下手に壊そうとすると目も当てられないさまとなる。それが、デスモがブルース曲を造る際の課題である。ブルースという完成形をいかに解体するか、という事である。言い換えると、我々はブルースという決まった形をデスモのオリジナルの「表現」にするという行為には、解体という発想が常に伴うと捉えている。逆に、ある一つのギターリフやメロディーから歌詞を書いて、リズムを乗せて、ブレイクを設けて、ブリッジを考えて、エフェクターを駆使して曲へと発展させていく「構築」の作業の結果がロックだと思う。つまり切り張り仕事である。しかし多くの人々にとってはロックの方がより革命的で、斬新なアイディアが出易い方法論という印象を抱いていて、ブルースよりも解体という言葉が相応しいと思うかも知れない。確かに今までのロックの歴史を見ても、時代を変え、造ってきたのはロックである。しかしあくまでも歌を造る際、あるいはデスモ特有かもしれないが、個人的な感情としては「ブルースは解体、ロックは構築」なのである。 |